てらまちフォト一覧

遊行寺の銀杏と空也像

藤沢の遊行寺へ、特別展「国宝 一遍聖絵」を観にいきました。藤沢は東海道の宿場町、そして遊行寺の門前町として栄えた町。東海道から延びるまっすぐな参道は緩やかな上り坂。境内にたどり着くとそこには見事に色づいた大きな銀杏が青空に映えていました。この日はフリーマーケットが開かれていて、銀杏の下にもアクセサリーや古道具、野菜などがずらり。本堂からは法事の読経の声。お目当ての特別展の会場に入るとすぐ、空也像がありました。 山田太一さんの小説『空也上人がいた』を読んでから、六波羅蜜寺へ行ってみたいと思っていましたが、遊行寺にもあったとは! 空也上人と一遍上人とは時代は異なりますが、日本各地を遊行した点が共通しています。像の口から六体の阿弥陀像が吐き出されています。「南無阿弥陀仏」という念仏に仏性が宿ることを象徴的に表したのでしょう。

特別展「国宝 一遍聖絵」は、12月14日まで。

遊行寺の銀杏と空也像

2015年12月10日公開  2015年12月06日撮影

大正大学のさざえ堂

先日、「地域社会と仏教」をテーマにしたシンポジウムを聴きにいきました。佛教文化学会の学術大会ですが、メインプログラムのシンポジウムは誰でも聴講可とのこと。会場の大正大学は巣鴨にあり、都電の庚申塚駅から延びる商店街の街路灯には「大正大学さざえ堂」とイラスト入りのフラッグが下がっています。商店街の先にあるキャンパスに、そのさざえ堂がありました。参拝のしおりによると「すがも鴨台観音堂」が正式名称。さざえ堂ということで、堂内をらせん状にめぐる階段が、上り・下りが交わることなくお詣りできる造りです。白を貴重にしたシンプルな内装、壁には梵字が記され、赤や黄色などの照明が天井や足下を鮮やかに彩ります。最上段に安置されている観音様にお詣りして階段をまた一段一段と降りていきました。この観音堂は仏教文化施設と銘打たれていて、一般でも参加できる「花会式」や「鴨台カフェ」などが開かれているようです。仏教系の大正大学ではさまざまな行事を一般公開されているようなので、こまめにチェックして、また伺ってみたいですね。

大正大学のさざえ堂

2015年12月9日公開  2015年12月05日撮影

レッツ♪ 法話会|巣鴨眞性寺

巣鴨地蔵通り商店街の縁日の日、眞性寺を通りかかると、「本日法話会」と手書きの貼紙。法話というと、かしこまったイメージがあるかもしれませんが、実はもっと気楽で、食事や電車での出来事、家族や仕事、老いや病気等々、身近なことをテーマに、15~20分ほどの楽しかったり、ちょっと心に残るようなお話が聞けます。眞性寺での法話会は、4・14・24日のいずれか月1回、若手のお坊さん方によって開かれているそうです。10年ほど前から始まった会には9年前から通い続けるもうすぐ80歳の女性もいて、 「毎月楽しみで生きる張りになってる」と仰っていました。法話の終わりに「質問は?」とお坊さんが投げかけると、手を挙げたのは20代くらいの若い男性。 法話を終えたお坊さんのところには、次々に人がやってきて、質問したりお悩み相談をしたり。みんなお坊さんとお話がしたいんですね。かく云う私も、埼玉や 群馬からいらしていたお坊さんとお話する機会をいただきました。よいご縁に感謝です。

レッツ♪ 法話会|巣鴨眞性寺

2015年12月8日公開  2015年12月04日撮影

雨上がり、夕暮れのお寺へ

都電梶原駅停留所からのびる梶原銀座商店街に愛宕地蔵尊があり、3のつく日が縁日だという文献の記述や区のサイトでの紹介を見かけたので、雨上がりの3日午後に行ってみました。お地蔵さんはすぐに見つかりましたが、縁日の気配はまるでなく……。すぐ近くの商店街事務所で訊ねてみると、露店を出す人たちが高齢化、後継者もないため、現在ではお天気のいい日に1軒だけ出店する程度になってしまったと。残念、と思っていたら、お地蔵さんについての記述もあるからと、商店街事務所の方が『堀船郷土史』なる小冊子を下さいました。その冊子は、近くの福性寺のご住職がまとめたもので、初版がなんと昭和27年! 昭和初期からの商店街とお地蔵さんのご縁についても記されていました。商店街から歩いて数分、福性寺へ行ってみるとすでに夕暮れ閉門。背後の工場との組み合わせが不思議な光景でした。お詣りはまた後日。

雨上がり、夕暮れのお寺へ

2015年12月3日公開  2015年12月03日撮影

秋の夜長の浅草寺散歩

先日、着物の裾と草履だけをお見せした着物で浅草を歩くモニターツアーですが、冬至も近いこの時期なので、着付けを終えて街に出た18時すぎはすでに真っ暗。夏だったら明るいのに! と思う一方、より長く浅草の夜を愉しめる! と思い直しました。浅草寺は17時の閉堂時間を過ぎていたので扉の前でのお詣りです。都内の多くのお寺は防犯上の理由もあって、開門時間外は境内に入れません。境内の大きな浅草寺はお堂の扉を閉じるだけで、境内には入れるし、伽藍をライトアップしていて雰囲気は抜群。しかも、昼間は仲見世や境内を埋め尽くしていた大勢の人もなく、ゆっくりと散策できます。木々が色づくこれからは、また違った姿を楽しめそうですね。

秋の夜長の浅草寺散歩

公開  2015年11月30日撮影

中世“河越”と同じ空の下

「川越」の地名は、中世にこの地を治めた武士「河越氏」に由来するとか。先日、その中世の河越をめぐるウォーキングに参加しました。川越は古代東山道武蔵路が通り、郡衙も置かれた関東の要所で、平安時代後期には河越氏が登場します。川越市にはそうした歴史を裏付けるように古代の古墳群、国指定史跡河越館跡、中世に創建された寺院が点在します。写真は室町後期創建の曹洞宗善長寺の仁王像。善長寺の創建には豊田隼人という在地武士が関わっていたとか。仁王像は近年建立されたもののようですが、この勇ましく力強い姿から河越氏ら中世の武士を想像、この道や入間川の河畔も、武士が馬を駆ったのかもと思いを馳せ、秋空の下を楽しくウォーキングしました。

中世“河越”と同じ空の下

2015年12月2日公開  2015年11月28日撮影

浅草町人ナイト!

町人ナイトツアー」に参加しました! ツアーと言っても、着物の自装講座を受け、そのまま浅草でグルメを楽しみ、最後にアンケートに答えるというモニターイベントです。晴れ着や正装としてではなく、普段着としての着物の楽しみを知ってもらいたい、というのが目的のようです。モダンな柄の着物の中から好みのものを選び、いくつかのコツを教わりながら着ていきます。半帯も自分で結び、完了まで1時間ほど。バッグや草履もお借りして、夜の浅草に繰り出しました。暗くなって人気の少なくなった仲見世や伝法院通りをつらつらと。着物を着るだけでも普段の街歩きと気持ちが変わってきますが、ここは浅草、さらに気分が盛り上がります。浅草寺の境内で外国人観光客から写真を撮らせてほしいと言われ、本堂を背景にパチリ。” So beautiful ! “ 浅草寺の夜景のことなのか、我々のことなのかはわかりませんが、外国の方にも日本の美しさを知ってもらえるのはうれしいことです。

浅草町人ナイト!

2015年12月1日公開  2015年11月30日撮影

禅語 ― 名月清風

誰が家にか 名月清風 無からん 『碧巌録』―― 名月清風とは、秋の名月と心地よい爽やかな風。その名月清風が、どの家にも差別無く平等に、「秋」の訪れを知らせてくれる。その「名月清風」を借りて、 くもりも汚れもない純真清明の心境、すなわち煩悩妄想を払拭した無我・無心の境地に喩えたもの。仏心・仏性とも云う。一般的にその自己が、万人に等しく本 来具わっている事を表現した言葉だ。(祝言寺掲示より)

松が谷の祝言寺門前に、ご住職のお手によると思われる書が掲げられていました。「誰家無明月清風」となると七言の漢詩の一部のようですが、『碧巌録』という北宋時代の書に納められた禅語です。山茶花が彩りを添える境内に、思案するような僧形の石像が置かれていました。その穏やかな面持ちを見つめていたら、自らの内にある仏性を問われたような気がしました。

禅語 ― 名月清風

2015年11月26日公開  2015年11月20日撮影

中国風の禅寺で鐘を撞く

お寺が密集して立地する上野の東側。東本願寺のような大きな境内・お堂のお寺もあれば、一般の住宅の表札に寺名が刻まれていたり、ビルの下層階のお寺もあります。そんな寺々をめぐっていたら、中国風のお寺に遭遇しました。萬年山祝言寺、曹洞宗。丸みを帯びた楼門と鐘楼、枯山水風の前庭、日本寺院らしい造りながら黒くシックな本堂。全体にさっぱりとした設えで、料理でいえばヌーベルシノワといったところ。山門の上部入口には「十七羅漢堂」と記され、小さな羅漢さんたちとともに鑑のように研かれた丸い石板がありました。神社のご神体みたいだな、と思っていたら天井に「自ラヲ灯トシ 法ヲ灯トセヨ 釈尊」と刻まれていました。自らを観よ、ということなのでしょうか。鐘楼の下部は供養塔となっていて、橦木から垂れ下がった紐を引いて鐘を撞く仕組み。お寺の方にどうぞと勧められ、ひとつ、撞かせていただきました。柔らかな残響をしばし味わいました。

中国風の禅寺で鐘を撞く

2015年11月24日公開  2015年11月20日撮影

お寺と猫の深く長い関係

猫住職、門前の猫、境内の子猫等々、このサイトでも何度か登場させている猫。もともと犬派だった私、猫が気になるようになったのは、お寺めぐりがきっかけのような気がします。谷中や雑司が谷などの寺町はイコール猫町。ビルの間に残るお寺は、猫にとってはうってつけの遊び場。東京のてらまちさんぽをしていると、必ずと言っていいほど猫に出会うし、彼らはたいがいが人懐こく、呑気にお昼寝していたり、拝観者にすりよったり。お寺と猫は相性がいいとは感じていましたが、そこには、仏教の伝播に関する歴史が関係していたこと ―― 遣唐使が持ち帰る宝物をネズミから守るために、猫が乗せられたということを、つい最近知りました。宝物の中には貴重な仏典・経文もあり、それらとともに日本にやってきた猫たちが、寺猫、家猫となっていった、というワケです。
あきる野市の法林寺にいらした猫住職は、鐘楼で水を飲み、近づくと向こうからすりよってきて仰向けになり、甘えてきました。人懐こすぎでちょっと心配ですが、お地蔵さんと一緒に写真に収まってもらいました。

日本船主協会:「海運の歴史にみる船とネズミとネコの関係

お寺と猫の深く長い関係

2015年11月19日公開  2015年11月15日撮影

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