てらまちフォト一覧
昨夜は、江東区は小名木川の高橋付近で灯籠流しが行われました。深川仏教会主催の川施餓鬼です。高橋の左岸橋詰がメインの法要会場で、橋の少し下流(隅田川方向)にある桟橋でも法要が営まれていました。橋詰の法要会場での読経のあと、お焼香が始まった19時半ごろ、高橋の上へ移動すると、すでに川面には灯籠が浮かんでいました。行き来する船には宗派ごとに僧侶が乗って、太鼓や鐘などを鳴らしながらお経を読み、そこからも灯籠を浮かべていきます。流れの先には萬年橋の照明、沿川には立ち並ぶマンションの灯り。この川施餓鬼は関東大震災や東京大空襲などで亡くなった方々のご供養のために執り行われていますが、当時の人々が今の東京を見たらどう感じるのでしょうか。
東京の灯籠流しは、7月のお盆時期のほか、8月のお盆のときにもあります。これからあるのは、「浅草夏の夜まつり とうろう流し」8月13日、江戸川区の「旧中川東京大空襲犠牲者慰霊灯籠流し」8月15日など。
東京の灯籠流し
2016年7月27日公開 2016年07月26日撮影
初めて乗った相鉄線で、「天王町」という駅名が気になり、降りてみました。駅前の案内板で、相鉄線と旧東海道がクロスする場所であることを確認し、歩き始めました。旧東海道沿いには橘樹神社、見附跡などが点在。道路の幅員はどうやら江戸時代当時と変わりないようです。旧東海道から一本東に逸れた大きな道路の交差点の名称は洪福寺。古いお寺なのでしょう。お詣りして、交差点の向こうを見ると、昭和風味の商店街アーケードが見えました。名前は「洪福寺松原商店街」。旧東海道に展開しているようです。あ、あれは?!と気づいたのは、テントの庇に段ボール箱を投げる、名物の八百屋さん。時間が早いせいか、まだ段ボールの量はそれほどではありません。それにしても、随分賑わっている商店街です。布団や衣類、電気屋さんやスーパー、八百屋、魚屋、文房具屋……横浜に出かけなくともなんでも揃いそうです。名物商店街、そのルーツは門前町なのかもしれませんね。
洪福寺松原商店街
2016年7月26日公開 2016年07月17日撮影
「まいまいず井戸」―暗号のような、方言のような、不思議な響きを持つ井戸は、「螺井」(まいまいず)と表記します。「まいまい」はかたつむりのことで、螺旋状に下る通路の下に井戸があります。構造や記録等から、実際には鎌倉時代のものと推定されているようですが、大同年間(806~810)の創始という伝説もあるとか。井戸は地表から円筒形に掘りこむのが一般的ですが、地層や土質の都合と、当時の技術から、こういう形になったのでしょう。とりまく通路を降りていくと、あるポイントで突然周囲の音が聞こえなくなり、隔絶されたような雰囲気。神聖な場所から命の水をいただき、またぐるりと登って還俗していくイメージ。集落、村にとって大事な水源だったはずですから、聖地のように護られてきたのでしょう。まいまいず井戸は羽村駅からすぐのところにあり、10分ほど歩くと玉川上水の取水堰があり、雨乞い街道があり、水田があり、睡蓮があり……羽村は、水と密接なつながりのあるまちでした。
聖なる水源―まいまいず井戸
2016年7月25日公開 2016年07月24日撮影
地下鉄小伝馬町駅5番出口のエレベーターの扉が開くと、そこは小伝馬町牢屋敷跡(都史跡)。道向かいには真言宗大安楽寺と日蓮宗身延山別院とが並んでいます。いずれも、江戸時代に牢屋・刑場であった当地に人がよりつかなかったことから、建立されたという縁起があります。油かけ大黒天は身延山別院の本堂前に鎮座。昭和の名優長谷川一夫氏ゆかりのお像なのだとか。油をかけて商売繁盛を願います。ツヤツヤと黒光りしてご利益ありそう。ほかにも、鰻塚やお稲荷さんなど、広くはない境内にいろんなものがギュギュッと詰まったお寺です。境内を出て牢屋敷跡のほうへ行くと、旧十思小学校のモダンな建物が。関東大震災の震災復興小学校として建設され、廃校後は十思スクエアとして公衆浴場、ホールなどとして利用されています。刑場の跡地が教育の場となり、現在はコミュニティスペースとして利用されている、不思議な来歴の場所。さてどこに行こうかと思ったら、ふわりと鰻屋のいい匂いが届きました。間もなく土用の丑の日ですね。
伝馬町因獄跡と油かけ大黒天
2016年7月22日公開 2016年07月16日撮影
東京はお盆、送りの16日。何度か足を運びつつも閉門時ばかりだった小塚原回向院に、ついにお詣りいたしました。墓参の方々も多く、控えめに史跡エリアへお詣り。吉田松陰、橋本佐内、鼠小僧、高橋お伝などのお墓が並びます。刑場としては寛文7年(1667)以前に移転、当時は約1800坪の敷地があったと、説明板に記されています。明治時代、常磐線建設の際に分断された敷地は延命寺となり、写真の首切り地蔵が鎮座しています。寛保元年(1741)、無縁供養のために造立。平成23年の東日本大震災で被災、その3ヶ月ほどあとにうかがったときには解体された状態でしたが、翌平成24年には修復されたようです。「刑場」「首切り地蔵」というとちょっと怖い感じがしますが、日光街道を通行する旅人達、付近の住民たちに拝まれ、守られてきた場所なのですね。
修復されていた首切り地蔵
2016年7月20日公開 2016年07月16日撮影
先週の四万六千日、この週末の閻魔縁日と縁日が続きました。今年は四万六千日、閻魔縁日ともに、初日は梅雨らしく雨模様でしたが、二日目はお天気に恵まれました。まずは四万六千日の10日、朝から張り切って本駒込光源寺へ行くと、本格的に賑わうのは昼過ぎかららしく、まだ準備中。大観音さまにお詣りして、まちさんぽへ。続いて閻魔縁日の16日は北千住の赤門寺・勝専寺へ。10時すぎに北千住へ到着すると、すでに屋台のスタンバイはOK。小さな子どもの親子連れや、小中学生くらいでしょうか、子供たちのグループも出てきていました。「じゃあ、赤門でね!」と一旦参道で二手に別れた女の子たちは、その後お寺の境内で集合するところを見かけました。二年前の二日目の夜の人出を体験した者としてはまだまだこれからと思いつつ、照りつける日差しに、勇気ある撤退。年2回ご開帳の閻魔さま、次は冬にお目にかかりたいと思います。
やっぱりすごかった赤門寺の閻魔縁日
2016年7月19日公開 2016年07月16日撮影
佃島は家康入府の際にともに江戸へやってきた摂津の人々が住んだ場所。江戸から続くものとしては唯一の佃島念仏踊りは、彼らが本願寺教団の信徒であったことと深く関係があるとか。毎年7月13・14・15日の3日間、佃小橋のそばで行われます。今年は14日が土砂降りで中止。最終日の昨夜は、19時前からこどもたちの踊りが始まり、20時前から大人たちの踊りになりました。この盆踊りは水難事故などでの無縁仏を供養するもので、東京音頭のような派手なものではなく、八尾の風の盆を思い起こさせるような静かさです。バチ1本で太鼓を打ちながら唄われるのは独特の節回し。ゆるやかに流れる踊りの輪に、ゆったりと見入りました。踊っているのは地元の方々なのでしょう。皆身体になじんだなめらかな動きです。高層ビルが次々と立ち上がる湾岸地域で、奇跡のように残されている佃島。そこで見た盆踊りは、時空を超えたような気分にさせてくれました。
夏の夜の奇跡への入り口—佃小橋
2016年7月16日公開 2016年07月15日撮影
(はれてまさによく あめもまたきなり) ― 本駒込の浄土宗榮松寺さんの門前に掲げられていたことばです。梅雨だから、でしょうか。文字も素敵です。調べてみると、漢詩の抜粋であることがわかりました。宋蘇軾(宋の時代の役人・文人、そしょく)の七言で、「湖上で酒を飲んでいたら、はじめは晴れていたけれども、その後は雨となった」といった題の、その光景を詠んだ詩です。晴れても雨でもそれぞれに趣ある光景を酒とともに味わっている様子。掲示板に抜粋されたところは第一句と二句の下で、「晴方好 雨亦奇」の読み下しです。天気・気候は人間の思うままにはいかないものですが、こうして言葉で示されると、あるがまま、与えられた状況を受け入れる心持ち、さらにはそれを愉しむという余裕を持ちたいと思わされます。
飲湖上初晴後雨
2016年7月12日公開 2016年07月10日撮影
7月10日は観音さまの四万六千日のご縁日。昼前、焦れる太陽のもと、本駒込の光源寺さんへ行ったらイベントや屋台は14時から。ほおずきに足もとを彩られた金色の大きな観音さまにお詣りしてから、東京藝術大学大学美術館で開催中の「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ-びわ湖・長浜のホトケたち-」へ。会場にずらりと並ぶ仏像には、ほぼガラスケースもなく、間近にお目にかかれます。仏さまへは本来あるべき場所でお詣りできるほうがいいとは思いますが、そういうところではこれほど近づいて細部まで拝見することはできません。琵琶湖付近は古寺も多く、観音信仰が盛んな地域なのだそうですが、今回ご出張されている仏さまの中には、お寺ではなく地域の集会所のようなところで地元の方々によって守られているものも多数。こうした観音さまのご縁によって、地域コミュニティが存続する、あるいは新たな地域のあり方につながる可能性もあるのでは、という思いを持ちました。
四万六千日、長浜の観音さま
2016年7月11日公開 2016年07月10日撮影
7月10日は四万六千日。この日にお詣りすれば、一日で126年分の功徳が得られる日です。観音さまをご本尊とする浅草寺(聖観音宗)や護国寺(真言宗豊山派)、大観音で知られる本駒込光源寺(浄土宗)では、ほおずき市が行われます。浅草寺のほおずき市の賑わいは有名ですが、光源寺はけっこう穴場。この日は観音堂の中に入って大きな観音さまの足もとをぐるりとまわってご縁を結ぶことができます。境内では地域住民との協働でお祭りが行われ、ほおずき市はその一部という感じ。町内会で出店する焼きそばやタイカレーもおいしいし、近隣の飲食店によるスペシャルメニューもいいですね。生ビール片手に尺八ライブも楽しめます。さて、護国寺はといえば、こちらは門前にほおずきの屋台が数件並び、本堂に縁日を示す幕が提げられますが、至って平穏。護国寺は池袋至近ながら境内も広く、こんもりとした木々に囲まれた空間が心地よいところ。ゆっくりお詣りして、境内でのたのたしている猫たちを眺めながら散策、帰りにほおずきを一鉢、というのんびりコースはいかがでしょうか。
四万六千日の護国寺にて
2016年7月8日公開 2014年07月10日撮影