てらまちフォト一覧
先日の愛媛~香川への旅は、八十八箇所めぐりを目的にしていたわけではありませんでしたが、行ってみればやはりそこは四国、地域に根付いたお遍路文化のようなものを感じました。 (さらに…)
四国の日常|松山道後
2017年6月21日公開 2017年05月26日撮影
かねてより一度お参りしたいと思っていた身延山。高速バス往復の日帰りで行ってきました。バスタ新宿を朝8時前に出発、11時半ごろ、三門手前のバス停に到着。いざ、本堂へと三門をくぐると空気が一変。杉木立のなか、壁のような287段の石段「菩提梯」に挑みました。 (さらに…)
弾丸日帰り身延山
2017年6月19日公開 2017年06月17日撮影
休日の浅草寺はとんでもない混雑っぷり。浅草寺本堂へのお詣りを済ませて隅田川のほうへ抜けようと境内を斜め歩き。「小舟町」の提灯でお馴染みの宝蔵門をすり抜けて脇の小道からさらに東へ行こうとしたら、そこには二体の大きな露仏が。 (さらに…)
浅草の濡れ仏さんは爪が長い。
2017年6月13日公開 2017年06月10日撮影
先月の四国旅でもっとも楽しみにしていたのは、讃岐の善通寺でした。弘法大師空海が生まれた場所に建立されたお寺です。JR善通寺駅から歩くこと約30分、途中からは五重塔を目印に歩いていきました。境内は広く、西院と東院に分かれます。 (さらに…)
お大師さま誕生の地|善通寺
2017年6月12日公開 2017年05月27日撮影
手前の鳥は鵜、左奥に写るのは不忍池辯天堂です。辯天堂は寛永寺を開いた僧天海が琵琶湖の竹生島になぞらえて建立したものなのだとか。 (さらに…)
不忍の池の蓮と鵜と辯天堂
2017年6月9日公開 2017年06月03日撮影
四国寺旅。二日目は松山市内から道後温泉近くの石手寺へ。うっかり市電を乗り間違い、結果的にお城あたりから石手寺まで徒歩、トホホ。八十八箇所霊場の札所ながら、なかなかにオモシロ寺感あふれる石手寺をあとにし、道後温泉で地ビールランチ♪ を目指して引き返していくと、坂の上になんやら大きなダルマさんが (さらに…)
なんと!道後の巨大ダルマは?!
2017年5月30日公開 2017年05月26日撮影
「慶応四年辰年の五月十五日――私の十七の時、上野の戦争がありました」―これは、仏師・彫刻家の高村光雲の『幕末維新懐古談』に収められた「上野戦争当時のことなど」の冒頭部です。当時浅草駒形町の師匠のところに住み込んでいた光雲が、当時の上野あたりの町の様子、戦のあとの惨状などを回想しています。上野公園の「西郷隆盛像」は光雲の代表作。その背後に、上野戦争で命を落とした彰義隊の墓があります。毎年日蓮宗が法要を営んできたそうですが、今年は150回忌ということで、徳川宗家や各宗派の大本山も列席のうえでの大法要でした。徳川恒孝氏が「日本の形が変わってきた今、同じく日本が大きく変わった150年前に守るべきもののために戦った烈士の心を大事にしたい」という旨を述べられていたのが印象的でした。
上野のお山で戦争がありました
2017年5月18日公開 2017年05月15日撮影
この週末、目黒区の祐天寺で、祐天上人三〇〇年御遠忌の記念行事が行われました。祐天寺の開山祐天上人は岩城郡四倉村(現福島県いわき市四倉)出身で、徳川家の帰依を得て、増上寺住職となった方。平素は穏やかな祐天寺ですが、記念行事の3日間、とりわけお練りや大法要のあった14日は境内には大勢が集まっていました。お練りには祐天上人像もご参列、僧侶のほか、木遣、寺侍、稚児などがそれぞれ数十人ずつの大行列でした。行列が境内に入ると、本堂前で祐天上人が広めたという「じゃんがら念仏踊」が奉納され、その後報恩地蔵開眼法要となりました。本堂から雅楽の音色、多くの僧侶による読経の声が流れてくる中、除幕。真新しいお地蔵さまがお目見えしました。地蔵堂では3日間限りで2体の祐天上人本地地蔵菩薩像が特別開帳。それぞれ祐天寺と松本生安寺に安置されていて、220年ぶりのご対面。どちらも厳しい眼差しながら、美しいお姿と感じました。
祐天寺でお地蔵さま三昧
2017年5月16日公開 2017年05月14日撮影