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境内の掲示板 日光観音寺

今日もお寺の掲示板。ちょっと変り種かもしれません。日本が日本らしく感じられるのは、四季―4つの季節が明確に分かれているからで、その季節の変化に順応し、自然の恩恵を享受して暮らしているのが日本人なのだと思います。この掲示には、その四季に人の心を当てはめた、4つのこころが記されています。それぞれになるほどと膝を打つ内容。今は秋。静かに物事を考え、自分を見つめるのにいい時季ですね。

境内の掲示板 日光観音寺

2014年10月23日公開  2014年07月20日撮影

111年目の肥薩線嘉例川駅

鹿児島は霧島の麓を走る肥薩線、明治36年開業の嘉例川駅。昭和59年に無人化、平成18年に国の登録有形文化財となる。平成15年の100周年事業は嘉例川地区の人々により開催、これを機に博物館開設、特産品販売、駅弁販売と、駅舎をフル活用しての地区活性化が図られました。今では県内有数の観光スポットとなり、列車に乗らない観光客も、列車の到着時刻に合わせて観光バスでやってくるほど。駅のすぐそばには、屋根つきの共同墓地があり、そこに人々の営みがあることを知らせてくれます。お弁当と一緒に販売されていた「かきあげ」を1個買い求め、列車に乗り込んでからほおばりました。サックリとして甘く、110歳の駅舎と同様に懐かしさを感じました。(参考:広報きりしまNo.40 2007.9)

111年目の肥薩線嘉例川駅

2014年10月22日公開  2014年09月27日撮影

境内の掲示板

お寺には、門前や境内などに掲示板が設置されていることがよくあります。そこに掲げられている言葉を読むのが好きです。お釈迦様の言葉であったり、宗派の祖の言葉であったり、あるいはご住職が記された言葉であったり。その時々で、さまざまに心に響いてくるのはなぜでしょうか。(千住仲町源長寺)

境内の掲示板

2014年10月21日公開  2012年03月27日撮影

露店がずらり、日本橋べったら市

きょうの1枚はお寺でなく神社です。前から気になっていた「べったら市」。今年はついに足を運んでみました。もとは寶田恵比寿神社の恵比寿講だとか。最寄はJR新日本橋駅。夕刻17時過ぎ、首都高下の交差点を渡るともう賑わいが。一帯の路地には露店がずらり。べったら漬けを扱う店はこれでもかと並んでいて、吟味しながら好みの1本を選べます。お店の違いだけでなく、皮付きと皮なしで味も食感も異なるんですね。ほかにも、盆踊りを催していたり、地元の飲食店が自慢のメニューを出していたり、立ち飲みスペースができていたり。こんなに多くの露店が並ぶのは、そうないのでは? 大人も子供も、お国も問わず愉しめそうです。べったら市は毎年10月19、20日に開催。

露店がずらり、日本橋べったら市

2014年10月20日公開  2014年10月19日撮影

雑司が谷鬼子母神 みちくさ市と手創り市

池袋から徒歩10分ほど、雑司が谷といえば鬼子母神。その名を冠する鬼子母神通りでは春は3月と5月、秋は9月と11月に「みちくさ市」という古本市が開かれています。早稲田あたりの古本屋だけでなく、一般の方も出店しているようです。一方境内では月1開催の「手創り市」。工芸品や洋服などの創り手が参加して、直接販売しています。夏の名残の暑さでも相当な人出。境内にある駄菓子屋の「上川口屋」さん、平常は穏やかなこの店もてんてこ舞いの様子。次回のみちくさ市は11月16日開催とのこと。

雑司が谷鬼子母神 みちくさ市と手創り市

2014年10月16日公開  2014年09月21日撮影

薩英戦争、廃仏毀釈、太平洋戦争を経験した仁王像

鹿児島では明治維新後の廃仏毀釈が殊に厳しく行われたため、南林寺町や慈眼寺など地名や駅名として残っていても、廃寺となった場合が多いようです。写真は不断光院。ここは薩英戦争での誤認による砲撃(文久3年・1863)、廃仏毀釈(明治3年・1870~)、太平洋戦争での空襲(昭和20年・1945)を経て再興してきたお寺。仁王像は、廃仏毀釈の際に隠蔽されたために残ったものだそうです。長年風雨にもさらされ、細かな造作はうしなわれていますが、大ぶりでごつごつとして、愛嬌すら感じられるその姿は、近代的な山門や本殿と対照的で、印象に残りました。

薩英戦争、廃仏毀釈、太平洋戦争を経験した仁王像

2014年10月15日公開  2014年09月28日撮影

深川の閻魔さま、秋の空が広がる

深川の閻魔さまは、清澄通り沿いのちょっと変形な交差点にある法乗院におわします。「お告げ」をくださる閻魔さまをお参りして境内を出ると、空が広々としています。この日はちょうど1年前。秋の雲がきらきらしていました。おさんぽにはとてもいい季節です。

深川の閻魔さま、秋の空が広がる

2014年10月9日公開  2013年10月09日撮影

まちあるきが愉しい下総中山

台風18号が迫っているという土曜日、空模様をうかがいながら、市川方面へ。江戸川から西船橋あたりまでは、京成本線と千葉街道とJR総武線が平行して走っています。総武線の下総中山から法華経寺を目指すと、千葉街道を横切り、京成中山駅を超えて山門にたどりつきます。境内に塔頭が並ぶところは、池上本門寺や雑司が谷の法明寺などと同様です。参道には茶店もあり、名物の「きぬかつぎ」が並んでいました。

まちあるきが愉しい下総中山

2014年10月6日公開  2014年10月04日撮影

知覧平和観音堂

鹿児島で武家屋敷庭園を目的に知覧へ行きました。庭園のあるエリアから2kmほどのところに知覧特攻平和会館のある平和公園があります。会館の奥のほうに、知覧町護国神社と観音堂が並んでいました。平和観音像は、奈良法隆寺の夢違観音を許可を得て謹鋳された三体のうちの一体。観音堂の入口脇には、特攻隊員たちの名前が刻まれた石碑が置かれています。知覧平和公園へ至る道路の両側には慰霊の燈篭が並び(千基以上あるとか)、その間を黄色い彼岸花が埋めるように咲いていました。

知覧平和観音堂

2014年10月2日公開  2014年09月29日撮影

鹿児島 田園地帯に佇む墓地

先日鹿児島へ行く機会がありました。鹿児島市電には「南林寺駅」、JR指宿枕崎線には「慈眼寺駅」などがあるので、お参りしたいと思いましたがいずれも廃寺。霧島あたりのお墓は田んぼの近くなどで屋根付きで共同墓地のようなつくり。付近にお寺はありません。おや、とスマホで検索してみると、「廃仏毀釈」の文字がちらつきます。言うまでもなく、お寺は地域の歴史と密接な関係があります。鹿児島での仏教がどのようなものだったのかを知りたい、と思わされた風景でした。

鹿児島 田園地帯に佇む墓地

2014年10月1日公開  2014年09月27日撮影

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