鹿児島では明治維新後の廃仏毀釈が殊に厳しく行われたため、南林寺町や慈眼寺など地名や駅名として残っていても、廃寺となった場合が多いようです。写真は不断光院。ここは薩英戦争での誤認による砲撃(文久3年・1863)、廃仏毀釈(明治3年・1870~)、太平洋戦争での空襲(昭和20年・1945)を経て再興してきたお寺。仁王像は、廃仏毀釈の際に隠蔽されたために残ったものだそうです。長年風雨にもさらされ、細かな造作はうしなわれていますが、大ぶりでごつごつとして、愛嬌すら感じられるその姿は、近代的な山門や本殿と対照的で、印象に残りました。
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