浦和の鹿手袋と東西南北

2016年9月14日公開

2016年09月11日撮影

浦和の鹿手袋と東西南北

さいたま市南区鹿手袋にある寶泉寺。お地蔵様がたがお召しになっている浴衣には「鹿手袋」と記されています。六地蔵は昭和58年の建立ですが、浴衣は比較的最近衣替えされたように見受けられます。地域を知るうえで、地名は大きな手がかりになります。しかし、住居表記の変更や自治体の合併などにより、その土地の履歴を表す地名が消えてしまうことが多々あります。「鹿手袋」の語源は「尻手袋」で、河川の曲流や沼の尻など、水に関する地形地名だったようです。地図で「鹿手袋」の範囲を見ると、なるほど袋のような、扇状地のような形をしています。周囲には、鴻沼、別所沼、田島、沼影、岸町など、水にまつわる地名が多く散見されます。このあたりは合併で南区となりましたが、もとは浦和市。やはり古地形や旧河道等が影響しているのでしょうか。現在「浦和」の地名は区名として残されています。また浦和は、駅名として「東西南北」すべてがそろうことでも有名。この寶泉寺は、西浦和と武蔵浦和の間にあります。