あけましておめでとうございます。
すでに松も取れてしまいましたが、松の内の7日、深川の七福神を巡ってきました。この日の東京の空は青く爽やかでしたが、乾燥も相俟って体感温度は低く、日なたを探して歩いていきました。
まずは、都営地下鉄森下駅からほど近い深川神明宮から。こちらにおわすのは寿老神。寿老人の福徳は延命長寿。もとは中国道教の神様です。深川神明宮は慶長元年(1596)の創建。大阪摂津の深川八郎右衛門が開拓し、鎮守として伊勢皇大神宮の御分霊を祀ったのが始まり。この地を訪れた家康がそ八郎右衛門の姓から深川村と命名したといいます。つまり、深川エリアでもっとも古い神社ということになるわけです。本殿前の広場では、町会の餅つき大会が開かれていました。もち米を蒸す白い湯気があったかそうでした。
家康が名づけた頃は閑散とした村だったでしょうが、今の深川はマンションなど中層ビルが建ち並び、冬の低めの陽射しは鳥居にも届いていません。
さあ、次の七福神へ向かいましょう。この近くには、芭蕉庵があったため、芭蕉記念館や芭蕉稲荷神社など、芭蕉ゆかりのスポットが点在しています。また、隅田川もすぐですので、ちょっと堤防の上や川の合流部に行って川や橋を眺めるのもいいですね。途中、年季の入った桜並木の道を通りましたが、ところどころ伐採され、切り株だけが残されています。何年がんばった樹なのか、根っこがものすごい形になっていました。
そして、非常にユニークな「おてあらい」の案内サイン! その矢印の先の「おてあらい」は、建物の狭間にひっそりと。このスタイルのトイレは、深川江戸資料館通りの霊巖寺ならびにもあります。
このあたりは、相撲部屋が点在しているエリア。大嶽部屋、現在は移転してしまった北の海部屋があったからでしょうか、「横綱通り」の名がついています。どの部屋の玄関にも、一月初場所のポスターが貼ってあります。
この相撲部屋エリアにあるのが、深川稲荷神社。寛永7年(1630)の創建と、こちらも古い神社です。ここにおわすのは清廉度量が福徳の布袋尊。布袋尊は中国に実在した高僧といわれます。七福神の期間内で参詣者が多い日は100mほど南側の清洲橋通りまで列ができるそうです。ふだんは静かなお稲荷さんですが、お正月はこんな状態。
お寺あるところに石材店あり。深川もご他聞にもれず、石屋さんが点在。深川稲荷神社近くの石材店の脇の小道を入ったら、お顔だけくっきり彫られた石像が・・・。
今年はここでインターバル(昼休憩)。午後の部はちょっと遅めの時間になりました。福禄寿は浄土宗心行寺の六角堂におわします。心行寺はもとは京橋八丁堀寺町に創立され、寛永10年(1633)に現在地へ移転。この辺りも陽岳寺、法乗院、玄信寺など、お寺が隣接しているところ。えんまさまの法乗院へは、七福神めぐりのついでにお詣りしていかれる方も多いようです。なんたって、えんまさまのご託宣がいただけるのですから!ちなみに、「薮入り」は1月16日。1年に2日だけ、地獄の釜がお休みする日。深川えんま堂では法要が営まれるようです。
心行寺の二軒隣の陽岳寺の角を曲がり、葛西橋通りを東へ進みます。5分ほどで冬木弁天堂へ到着。この弁天様はもとは材木豪商冬木家の邸内の弁天堂に安置されていたものだそうです。ここは前面の葛西橋通りより高い位置にお堂があり、10段ほどの石段を昇ります。小ぢんまりとした境内で、お堂の脇に小さな池があり、その奥にも神様が祀られています。ここはふだんの管理も、七福神めぐりの運営も、町会の方々によって行われています。弁財天の福徳は芸道富有の女神。「材」よりも「財」に対するご利益が求められているようです。
そういえば、以前西新井大師へ向かったとき、足立区本木小学校の東側で「冬木屋敷跡」という石碑を見つけました。本木には冬木屋の別邸があったとのこと。小学校の北側に冬木弁天堂、西側に田中稲荷神社があり、これらは冬木屋敷の名残だそうです。
冬木弁天堂から北上、木更木橋で仙台堀川を渡り、ブルーボトルコーヒーをかすめるとすぐに大黒天の圓珠院(円珠院)があります。近くにある日蓮宗浄心寺の塔頭のひとつ。大黒天には、大国主命とする流れと、インド名をマハカーラという仏神のふたつの流れがあり、前者は神社に、後者は寺院に多く祀られています。ということで、こちら圓珠院の大黒天は仏神なのですね。台所財宝糧食をつかさどる神で、福徳は有福蓄財。この本堂の脇には、石像の大黒様も鎮座。お詣りの人々を福々とした笑顔で迎えてくださっています。
圓珠院から北東方向にあるのが、毘沙門天の龍光院。冬の日は落ちるのが早く、提灯がともされていました。龍口院は通り並びにある浄土宗雲光院の塔頭で、慶長16年(1611)に馬喰町に創建された古刹です。その後2度の大火で移転を繰り返し、現在の地に移転、その際に鬼門除けとして石像の毘沙門天を安置。戦災のためにお堂は消失したものの、昭和50年に木彫の毘沙門天が安置されたそうです。毘沙門天の福徳は勇気授福。仏教守護から転じて国土守護の武神として信仰されています。槍を持ち、地面をしっかりと踏みしめる姿は勇ましく、力をいただけるような気がします。
さて、そろそろタイムリミット、という時間にさしかかり、七番目の神様が待つ富岡八幡宮へ急ぎます。龍光院から南下していくと、墓標が。「間宮林蔵之墓」と刻まれています。そういえば、富岡八幡宮の鳥居の側に伊能忠敬の像があります。その縁で深川に眠っているのでしょうか。
さあ、七福神の最後は富岡八幡宮境内社の恵比寿神です。八幡宮本殿の西側に3つの小さなお宮が並んでいて、右から大鳥神社・鹿島神社、恵比寿社・大国主社、金刀比羅社・富士浅間社が祀られています。深川七福神の恵比寿さまは真ん中のお社。恵比寿神の福徳は愛敬富財。今ではすっかり某ビールのシンボルとなっていますが、もとは海上安全、商売繁盛の神。釣竿を鯛を抱えて「えびす顔」の神様は、五穀豊穣への人々の願いを映しているのでしょう。
お詣りを済ますと、神職の方が左のお社から扉を閉め始めました。ギリギリ!朝からめぐればお昼までにはお詣りできる範囲にあります。もちろん、深川飯など、お昼を挟んで午前・午後とゆっくり愉しんでもいいでしょう。
福笹に七福神のお顔の土鈴を下げるというのが、この深川七福神のユニークなところ。深川七福神の開帳期間は1月15日まで。専用の色紙と福笹の授与もこの期間です。今年の開帳期間はあと5日。土日もありますので、ぜひ深川七福神をおめぐりしてみてはいかがでしょうか。