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七福神をあるこう ― その1|そもそも、七福神とは?

2015.12.25

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季節

今年もあと7日。「今年のうちに」と思っていることが山ほどあっても、気づけば除夜の鐘が鳴っているというのが恒例(昨年の除夜の鐘についての記事)。お正月を迎えるためのアレコレを横目にしながら、年明けのてらまちさんぽをどうするか、熱心に考えています。

2015年のお正月は干支の羊めぐりをしよう! と思い立ち、羊像のあるお寺をいくつかめぐったら、東海七福神にかぶったり、五百羅漢を見たい! と行ってみたら、山手七福神の半分はまわったりと、なんだかんだで七福神をかじりかけてしまいました。

そこで、来る2016年お正月のお寺めぐりの目標は「七福神コンプリート!」

 

雑司が谷七福神色紙

2年前、吉祥天までたどりつけなかった雑司ヶ谷七福神の色紙

 

どこの七福神にしようか、いつ行こうか、誰を誘おうか・・・そんなことを考えていたら、「七福神めぐりはどうしてお正月が多いのか?」という疑問がわいてきました。

そもそも、七福神めぐりって?

七福神とは、恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁材天・福禄寿・寿老人・布袋の七柱の福の神のこと。恵比寿は日本、大黒天、毘沙門天、弁材天がインド、寿老人、福禄寿、布袋尊が中国からと、三つの国の神様の複合です。

七福神信仰、七福神めぐりの始まりについては諸説あるようですが、東京を中心に多いことを勘案すると、江戸時代、天海僧正が徳川家康に「清廉・裕福・威光・愛嬌・人望・寿命・大量」を七福として説き、それに神々をあてはめて祀った、それが江戸庶民に広まったというのが、腑に落ちる気がします。また、江戸六阿弥陀めぐりや四国霊場めぐりなどは、信仰もさることながら、江戸時代における観光旅行の側面も有していました。菩提寺や村社に初詣するのとは別に、開運招福を願う七福神めぐりは、江戸庶民にとって正月の楽しみとして広まったのではないでしょうか。

 古くて新しい七福神

七福神信仰は、江戸より前、鎌倉・室町時代に端を発するという説もあります(恵比寿・大黒天・弁材天の三神信仰)。七福神めぐりとして広まったのは江戸のようですが、帝都復興を記念して大正13年に整えられた【青山七福神】や、最近ではまちおこしのために地元町会が旗振り役を務めて創出された【雑司が谷七福神】(平成23年から)などもあります。

では、どこの七福神に?

2016年は曜日の都合で仕事初めが4日になる方が多いことでしょう。七福神の御開帳や御朱印の授与は、1月7日まで、15日まで、あるいは通年と、それぞれのコースやお寺によって異なります。いつできるかによって、うかがえる七福神が絞られてくるかもしれません。

もしくは、数あるコースをあれこれ眺め、好きな街、行ってみたいお寺などから選んで日にちを決めてもいいかもしれません。たとえば【柴又七福神】は、寅さんの葛飾柴又に立地するお寺が中心です。もちろん、帝釈天で有名な題経寺の毘沙門天も含まれています。また、ミッドタウンや六本木ヒルズ、麻布十番など、おしゃれスポットも一緒に楽しめる【港七福神】もあります。

 

DSCN3605

港七福神めぐりは、宝船も含め8箇所の変わりダネ

 

一日がかりのコースもあれば、1か寺に七福神が揃っているものもあります。確保できる時間が限られているなら、そういう場所を選んでもいいですね。

次回は、七福神のあるき方―巡拝順や授与品などについて、紹介します。

 

柴又七福神説明板

柴又七福神はには、こうした説明板が各所に設置されています