上野公園はかつては寛永寺の境内だったため、公園内に清水観音堂や上野大仏があります。広大な寺領を有していた寛永寺ですが、慶応4年(1868)上野戦争のわずか半日の戦で全山の伽藍のほとんどが灰燼に帰しました。官軍側の死者の遺体はその日のうちに片付けられましたが、旧幕府軍として戦った彰義隊の遺体は放置されました。三ノ輪の曹洞宗円通寺の住職仏磨和尚が埋葬供養したいと願い出るも賊軍に与する者として拘留されてしまいます。しかし、その10日ほど後に許可が下り、侠客の協力を得て荼毘に付しました。火葬されたあと、一部は円通寺に埋葬され、残りはそのまま上野のお山に埋葬されたのだそうです。上野戦争のあった慶応4年は明治元年。今年は明治でいうと150年目にあたります。上野公園にある彰義隊の墓は当時から日蓮宗が弔い続けているそうで、今年で150回忌の節目となるため、例年よりも行事が多いようです。
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