山号 | 明王山 |
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院号 | 不動院 |
寺号 | 重林寺 |
本山 | 総本山 長谷寺 |
開祖 | 法印大和尚秀譽 |
本尊 | 不動明王 |
宗派 | 真言宗 豊山派 |
住所 | 豊島区池袋本町2-3-3 |
札所 | 豊島八十八ヶ所 第十三番 。 |
創建は不明。秀譽という高僧が当寺のご本尊不動明王の姿に感じて住職となったのを開祖とする。明治23年の本堂屋根改修の折、職人が誤ってご本尊の腕を破損、その中から弘法大師筆と記された不動明王の絵が発見された。これを寺宝とする。
重林寺は真言宗豊山派に属します。明王山と号し、愛宕下真福寺の末寺でしたが、現在は大塚護国寺の末寺です。創建の年代は明らかではありませんが、慶安2年(1649)に没した秀誉を開祖としています。本尊は不動明王です。
境内には天文24年(1555)2月に造られた板碑があります。これは結衆13名を刻んだ庚申待板碑で長崎地区から出土したものです。また、七面にそれぞれ聖観音をはじめ、七つの観音が彫られた石塔があります。これは享和3年(1803)の作で、西国、坂東、秩父、四国の各札所巡礼供養塔です。
この寺には弘法大師が描いたとされる不動明王の画像が伝えられています。これは寛政己未(11)年に本尊の不動明王の体内に納められたもので、明治23年(1890)に発見されました。
寺の古い山門は大正12年の地震で崩壊してしまいましたが、この山門は大久保彦左衛門の屋敷のものであったといわれています。
境内には天文24年(1555)2月に造られた板碑があります。これは結衆13名を刻んだ庚申待板碑で長崎地区から出土したものです。また、七面にそれぞれ聖観音をはじめ、七つの観音が彫られた石塔があります。これは享和3年(1803)の作で、西国、坂東、秩父、四国の各札所巡礼供養塔です。
この寺には弘法大師が描いたとされる不動明王の画像が伝えられています。これは寛政己未(11)年に本尊の不動明王の体内に納められたもので、明治23年(1890)に発見されました。
寺の古い山門は大正12年の地震で崩壊してしまいましたが、この山門は大久保彦左衛門の屋敷のものであったといわれています。