山号 | 妙厳山 |
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院号 | |
寺号 | 信隆寺 |
創立 | 寛永元年(1624) |
開山 | 善立院日意上人 |
開基 | 信隆院日閑上人武田(勝沼)信就 |
本尊 | 久遠の本師釈迦牟尼仏 |
宗派 | 日蓮宗 |
住所 | 神奈川県茅ケ崎市今宿841 |
HP | http://www5e.biglobe.ne.jp/~shinryu/ |
略縁起
新羅三郎義光後裔・武田信就公は、信玄の父信虎の弟の孫にあたり、勝沼を治めていた。天正10年の天目山の戦の後当地へ逃れ、家臣とともに剃髪。甲州武田一族の菩提のために善立院日意上人を招き、信隆寺を創健。
新羅三郎義光後裔・武田信就公は、信玄の父信虎の弟の孫にあたり、勝沼を治めていた。天正10年の天目山の戦の後当地へ逃れ、家臣とともに剃髪。甲州武田一族の菩提のために善立院日意上人を招き、信隆寺を創健。
戦火を逃れた日蓮大聖人像
昭和20年7月の空襲で伽藍は焼失。残されたのは鰐口と日蓮大聖人像。戦火の中を、当時の住職の妻がこの像を背負って田畑の中へ逃げ、空襲の後に辺りを見渡すと、その一帯だけが青々と燃えずに残っていたという。