複数の名を持つ公園

2017年2月28日公開

2017年02月25日撮影

複数の名を持つ公園

両国国技館、江戸東京博物館の少し北にある「東京都慰霊堂」。「横網町公園」「被服廠(ひふくしょう)跡」「東京都復興記念館」などと呼ばれるこの場所。複数の名がこの公園の歴史を表しています。陸軍被服廠の跡地を公園として整備している最中に関東大震災が発生、遭難死者約5万8千人もの遺骨を納めるために建てられたのが、この慰霊堂です。設計は築地本願寺や湯島聖堂も手がけた伊東忠太。その後、東京大空襲などによる殉難者の遺骨もあわせ、16万体以上の遺骨が安置されているそうです。東京のお寺は、江戸の大火、関東大震災、戦災を経て、移転や敷地の縮小等、変遷をたどったケースが少なくありません。ここは慰霊堂であり、お寺ではありませんが、やはり震災・戦災に関する祈りの場。この日も法要が行われていて、宗派はわかりませんが、お坊さんが3月10日の東京大空襲のお話をされていました。この複数の名を持つ公園では、毎年3月と9月に慰霊代法要が営まれています。