5月6日、中目黒の正覚寺さんで開かれていた寺社フェス「向源」に行ってきました。今年は、日程も場所も、運営形態やワークショップの数も、規模を拡大し続けてきた昨年までとは大きく変化しました。2015年は増上寺で2日間の開催、昨年2016年は増上寺に加え、日本橋エリアに範囲を広げた3日間の開催でした。寺社フェスの可能性を最大限感じさせてくれた2015年、寺社を軸に日本文化の魅力を伝えてくれた2016年だとすると、今年2017年は寺フェスとは何か、お寺でイベントをすることの意義は?といったことを考えさせてくれた2日間でした。
この3年間で毎回楽しみにしてきたのが「声明公演」。日蓮宗、天台宗、真言宗の三宗派合同での公演です。2015年は増上寺会館、2016年はコレド室町の日本橋三井ホールと、舞台と客席に分かれたまさに「公演」でしたが、今年は正覚寺の本堂。お寺のお堂でお経を聴くのは専ら法事の席ですし、導師様のほか1、2名の僧侶による読経という場合がほとんどかと思います。しかし、足のシビレとの戦いだったりして、読経を味わうということはあまりないかもしれません。その意味で、公演の形で声明を体験できるのは、声明そのものを味わえる絶好の機会です。
「かわりたい」をテーマに開かれた今年の向源ですが、毎年恒例の声明公演がどう違うのか、3年分のみですが、振り返ってみようと思います。
2015年の声明公演@増上寺会館
2016年の声明公演@日本橋三井ホール
2017年の声明公演@正覚寺本堂
いかがでしょうか。一参加者として撮影した画像ですが、明らかに今年の声明公演が以前と違うのがわかるでしょうか。オーディエンスとして鑑賞するというより、声明の響きに包まれる状態です。最前列ではありませんでしたが、僧侶ひとりひとりの息遣いがわかるほどの近さ。その真剣さが参列している我々にも伝わり、隣の人ともその緊張感を共有したような気がしました。講堂やホールであっても、伝わるものは伝わるし、身体の芯に響くような感覚は得られると思います。しかし、しかるべき空間―寺院本堂で声明を間近に聴いたことは、本当に格別の体験でした。
「お経を読んで拍手をいただく機会はめったにありません」と、向源代表の友光さんは仰いますが、特に今年、拍手がしにくかったのは、作品鑑賞ではなく、法悦にひたったような感覚を味わったからだと思います。
「いかがでしたか」―そのあとに続く友光さんのあいさつは、この、Facebookの記事でお読みください。
か わ り た い ― 公式サイトには、このテーマは「参加者の声」にヒントを得たと記されています。しかし、今年の向源のDMを見たときに、これは友光さん自身の心の声なのではないか、と感じました。7年目の向源、今年がターニングポイントであることは間違いなさそうです。
個人的には、声明を、それも宗派を超えて同時に体感させてくれた向源の声明公演が、場所や方法などが変わっていったとしても、これからも続いていくことを願っています。